2015年05月31日

 満員御礼「第2回糸我寄席」

 大雨の予報もなんのその。私こと関大亭忍狂は晴れ男。
 前回も台風接近にかかわらず、雨も風も影をひそめ、無事、寄席を開いて終えることができたのです。
 そして、今回。
 48名のお客さんにお出でいただき、それも大変いいお客さんでしたので、こっちも大いに乗せられて気持ちよくお喋りできました。
 ありがとうございました。
 また、いつの日にかお邪魔いたします。その節にはよろしくお願いいたします。

 さて、次の公演は 6月6日 「大塔寄席」です。 
 場所は大塔公民館。ドライブがてらお越しください。
  


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2015年05月26日

「第2回糸我寄席」は一里寄席のはじまり。

 小さな町や村で小さな寄席を。
 昔、江戸時代でしょうか一里芝居というのがあったそうです。一里ごとに芝居をうっていくのだ「一里芝居」。それなら私たちのやっている紀伊半島お笑い行脚は一里寄席と呼んでもいいんゃないかと思いました。一里は距離の一里でもあるし、一つの里[さと]で寄席を開くという意味も加えて「一里寄席」。いいなぁ。
 糸我は有田市は有田川の南。熊野古道でいえば宮原の渡しを渡ったところ。目の前に立ちはだかるのが糸我峠。峠を越えた先は湯浅。
  会場の糸我公民館の近くには二十五菩薩練供養で有名な雲雀山得生寺があります。峠の左手が雲雀山でそこに討手から逃れて中将姫が隠れ住んだといわれています。熊野古道民俗資料館もあります。観光地化されていないだけ、古代の空気が漂う集落です。
 皆さん、ドライブと古代ロマンの散策とそして落語を楽しまれてはどうでしょうか。
 天気予報は雨ですが、何とかいたします。

  糸我寄席
   午後二時開演 入場無料
   落語三席 講談一席
   糸我公民館の電話は 0737-88-5500
  


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2015年05月24日

満員御礼申し上げます!

 本日は「ひるさがり亭」に足をお運びいただき誠にありがとうございました。午前中は雨の予報でしたが、幸いにすごくいい天気に恵まれました。何より、満席となりましたことを重ねてお礼申し上げます。
 どうしておられるかと皆で心配してましたMさんも久しぶりに顔を見せてくれました。楽屋見舞いにお餅もいただきました。美味しかったです。
 お客さんの中には「今日は講談を聞きに来た」とおっしゃる方がおられて、天神堂梅紅は大喜び。ただ出演が無かったのでお客さんも梅紅もがっかりでした。
 今日は落語が五題でしたので中入りをとりました。
 そこでごっそり帰られるのじゃないかと心配でしたが、大多数が残ってくださったのでホッとしました。
 小さな会が少しずつ少しずつ大きくなって、でも、ひまわりほどの大輪じゃなく、芭蕉が見つけたスミレ草みたいに、ささやかではあるが実のある会になるように精進していきたいと思っています。
 
 次回「ひるさがり亭」は、
 6月28日 午後一時より。黒江ぬりもの館です。入場は無料。

 今月の「坐・噺の会」公演情報
 5月31日 日曜日 午後2時より
 有田市糸我公民館にて。
 坐・噺の会の自主公演です。どなたでもお越しください。
 入場無料です。
    


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2015年05月23日

「ひるさがり亭」 いよいよ明日になりました。

 「ひるさがり亭」いよいよ明日 5月24日です。
 お天気ですが、予報では午前中弱い雨。
 仕方ないですね。運を天に任せます。

 場所:海南市黒江「黒江ぬりもの館」
   黒江郵便局筋向いの駐車場に「ぬりもの館専用スペース」
   隣の漆器館の駐車場には自由に停められます。
 場所:ぬりもの館2Fギャラリーです。
 演題: いらち俥、牛ほめ、近日息子、八五郎坊主、壺算
    入場無料です。

 通りでは「軒下蚤の市」があって面白いグッズが売ってます。
 ぬりもの館でもタロット占いや柿渋作品の展示販売があります。 
 海南市の町屋や通りを散策するのも楽しいですよ。
 もちろん、ぬりもの館も粋なカフェですからお越しください。  


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2015年05月22日

明日、天気にな~ぁれ。

 本日、金曜日は:「坐・噺の会」稽古日でした。
 平日を稽古日にしたのは、そもそも稽古日に集まれるのが私たち三人だけで、その三人が高等遊民であるからです。
 年若い連中は休日は休養したいだろうし、家族サービスも必要だろうし、で、そんなしがらみのないものが集まって稽古をしているというわけです。どんな具合にですって?
 まず、ぬりもの館の二階に皆が来ます。
 初めは、噺の会のスケジュールが梅紅さんから報告がありました 「24日はぬりもの館です」
「はい」
「次、ニュース和歌山で紹介してもらってからオファーがありました。山口の○○、朝日の○○、川永の○○。川永の○○は夏祭りの出演と平日の出演があります」
「はい」
「6月は6件あります」
「はい」
 てな具合です。次は恒例の世間話。落語界のこと。噺家のこと。ここは萬年師の独断場。本日はとくに年金の講演で大層、勉強になりました。こんなのが30分あまり。
「ほんじゃ、梅紅さん、いきましょうか」
で、皆の前で落語・講談を聞いてもらうのです。
 梅紅 「般若の面」
「だいぶん、言葉が粒だって来た。けれど、戸を叩くフリが美しくない。女性がひじを張ったのでは男に見える。娘と父親の会話は主の前でしているのに、二人でどこかで喋っているみたいに聞こえる」
「そこは、この主が面をこっそり入れ替えるのだから、意地悪やと思うので、その伏線として演じた」
「それは違う。この主は意地悪な人やなくて、イタズラ好きの人とした方がいい」
「はい。分かりました」
 
 次、萬年さんの「近日息子」
「芸風が変わった。なんか爆発しそうやった」
「畳み込むのでそう演じた」
 次、忍狂さんの「壺算」
「番頭が『もう、持って帰ってください』」というそのタイミングがまだつかめません」

 3人だけだが、いい意味の競争心が出ていていい稽古になりました。

 その後、会場の掃除をして、広々ゆったり聞いていただけるように整理整頓しました。
 明日お天気なら、座布団を干すつもりです。明後日、会場に持って行って、お客さんに座っていただこうと思っています。
 ですから、「明日、天気になぁ~れ」なんです。  


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2015年05月21日

立川談志ー大衆なき時代の大衆芸能へ

 今の世はどんどん大衆が群衆化されているという。
 人々の「群れ」に付けられた名前を見てみたら、町衆、町人、市民(町民はおかしいよ)、名もなき人々かな。町衆には強い自治意識を感じるし、町人は自由闊達な生活者をみる。市民となったら、連帯の強さより個々の人間の意識の高さ、教養の深さを連想する。
 大衆というのは乱暴な言い方を許してもらうと、町人あたりじゃないでしょうか。
 能・狂言は町衆的社会に発達して文楽・歌舞伎・落語は町人的社会に発達した。前の芸能は次の時代には生きにくいので滅んでいくものだが、能・狂言は町人的な時代の中の町衆的人々が支えた。歌舞伎・落語は町人的時代に生まれ発達したが、市民的社会では生きにくいが、町人的時代を懐かしむ人々が支えている。そのことと、落語市民社会で元気溌剌と生きていくこととは違う。つまりは大衆のいない社会で大衆芸能がどう生きてくか、行かねばならないか。
 その意味で立川談志師は先見の明があったと言うべきだ。
 大衆のパワーの源は「業の肯定」であり「非常識は常識を凌駕する」であるからだ。
 権力に対して群衆が大衆に立ち戻る理論的根拠こそが「業の肯定」であり」「常識を凌駕するところの非常識」だ。
 坐・噺の会のやっている「ひるさがり亭」もは何と上品、毒のない、優等生的な代物ではいつまでたっても、プロの物まねでしかない、ダメな見世物だということです。

 ひるさがり亭  
 5月24日 午後1時
 海南市黒江ぬりもの館
 落語5席演じます
 入場無料

 ダメな人間たちの姿を見に来てください。
  


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2015年05月20日

立川談志師「現代落語論」②

 談志師の落語論を極論すれば、「江戸の風を吹かせつつも、そこに現代を取り込む」 師匠に教わったそのままを旧態依然と演じていたのではやがて落語という芸は「能」と同様、古典伝統芸能になってしまう。現代を取り込むとは「今」の言葉、ギャグを織り込んでいくのだが、しかし、そこには言葉のセンスが大きくものをいう。
 「黄金餅」を聞いたが、「なるほど」と頷けた。
 汚い長屋が見えてくるし、そこで生活するいわゆる江戸貧乏庶民の息遣いが聞こえる。なるほどなぁ。江戸っ子の了見か。
 その考えは、談志師のすべての落語論に通底している。一方「業の肯定」、「自我は非常識をも凌駕する」と談志師の世間に対する、自己弁明であり、自己肯定の叫びなのだ。であるから、落語論とはややずれがあるように思える。落語を演じる上で、「業の肯定」と言われてもそれがどう具体化するのか見当がつかない。
 しかし、「業の肯定」「自我は非常識を凌駕する」を体得した噺家の噺は私たちがとっぷり浸かっているの日常性の非難され、亀裂の奥に人間の真実、真実であるが故の怖さを垣間見せてくれるのだ。
 となれば、現代上方落語において、談志師が訴えた落語論が果たして誕生するだろうか?江戸の了見に対応する上方落語のキーワードが見いだせるだろうか?
 もし、見つからなければ「上方落語は桂米朝の死を持って、一応の終末を迎える」ことがにわかに真実味を帯びることになる。



   


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2015年05月19日

マスコミの力は凄い。

 ニュース和歌山の5月16日号に[我が坐・噺の会]の記事を載せていただきました。
 熱心な記者さんでしたのでいい記事でした。
早速、 読んだ方から何本かお電話いただいて、落語・講談を聞いていただける機会が出来ました。マスコミの力は凄いです。ともかく皆さんに喜んでいただけるように願っています。

 さて、5月17日は関西大学校友会橋本支部でメンバーの天神堂梅紅が「前畑秀子伝」を聞いていただきました。
 橋本市では「朝の連続ドラマのヒロインに前畑秀子さんを」という招致活動というのか市民運動を繰り広げているそうです。大きな夢が実現できますように、少しでもお役にたてばて願っております。

 黒江ぬりもの館 五月公演
 「ひるさがり亭」 5月24日 日曜日 午後1時より 入場無料
    いらち俥
    牛ほめ
    近日息子
    八五郎坊主
    壺算
    の五席です。

  5月31日は有田市糸我公民館をお借りして
   第二回 糸我寄席を行います。
    時間は午後2時開演 入場無料です。
 
  


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2015年05月16日

立川談志「現代落語論」その①

 数日前、NHKの深夜番組に立川志らく師が出ていて、落語について語っていた。彼の師匠の談志師が亡くなったおり「現代落語論」が本屋の棚に並んでいた。それが買ったまま長らく本棚にあったので開いて読んだ。
 その昔、丸正百貨店が健在で、ぶらくり丁界隈が人で溢れかえっていたころ、本町の宮井平安堂には三十一新書だけの棚があって、そこに「現代落語論」が並んでいたのだ。三一書房は左翼思想書と芸能書関連の本を多く出していた出版社だった。「ヤマザキ、天皇を撃て」など言う過激な書物も買ったことがある。
 「現代落語論は」1965年刊行である。当時は世の中が今とは違って、国家権力に対する左翼思想が救済思想としての存在価値を有していた。反国家権力を掲げる論客がテレビ、雑誌その他諸々で論陣を張っていた。文学者の野坂昭如氏が時の総理田中角栄氏の膝元から選挙に打って出たりしたこともある。
 日本国民が「大衆」として生き生きと活動いていた。
 そんな時代背景のもと「現代落語論」は落語界再生のために筵旗を掲げて立ち上がった言論による一揆だったのだ。
 その一方、落語界に「このままでは落語も何時しか『能』のごときものに堕すにちがいない」と物申しつつ、落語界で浮いた存在になりつつある自身の自己確認の書物でもあったのだ。
 談志師が望んだのは、愛されることだった。
 落語界だけでなく、あらゆる場所で物議をかもしながら、それは師
の端的には喧嘩っぱやさに帰結するとしてもやはり認められ愛されたいと願ったとしても不思議ではない。入門のおり,母上に付き添ってもらって小さん師匠に家に行ったり、僅かな出演料の中から買った「たい焼き」を風に突き飛ばされ、涙流して拾うのが師の本質なのだ。

- 芸人には最終的には愛がものをいう・・・、しかし愛するならうわ  べだけでなく、ちゃんとした中身を見て、芸人を愛していただきた   い、と私は思うのだ・・・その上で愛される芸人にならねばならない  のは言うまでもない。
 
 そこまでも人に愛されたいと願いながら、それとは裏腹の言動に走る己だが、こんな私を愛してください、それが実は「現代落語論」の究極の主題ではないだろうか。


   


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2015年05月14日

地域づくりネットワークの登録団体になっちゃいました

 落語という大衆芸能を愛する者が公的組織に所属するのがいいのか?1960年代でいえば世間のはみ出し者たる芸能者が体制側に組することの妥当性が問われるところである、と難しく言い出したらきりがない。
 しかし、今や財政的なのだろうがテレビには若手漫才師やいわゆるタレントがズラリならんで楽屋落ち的なお喋り番組が横行している。
 人生幸朗、いくえ幸子師が万歳で「責任者出てこい」のフレーズが懐かしい。万歳のネタには違いなのだが、一般庶民の心の中で沸々燃えている世の中に対する、政治に対する不満を見事に言い当てていたことは確かだった。おそらく笑いはそんな為政者や大企業、大金持ち、いわゆる体制側に投げつけた「てつはう」(モンゴル軍が鎌倉武士に投げつけた、いわゆる鉄砲)なのだ。爆薬の代わりに批判を、土器の容器の代わりが笑いと言うわけだ。
 だったら、坐・噺の会も公の組織に所属しなかったらいいのだが、あまりにも無名すぎたら、会場ひとつ借りることができないという悲しい現実があるのです。
 それに、地域づくりとはおこがましいが、ある集落に出向いて、そこで寄席をすることで人々が集まるきっかけが生まれたら、それも地域づくりの一環だろうし、「坐・噺の会を呼んで寄席をやらせて、たとえ一日でも地域の人間が楽しもうよ」となったら、それも地域づくりに寄与することになるよなぁ、なんて勝手に妄想を膨らませtているしだいである。

 今週、土曜日発行の「ニュース和歌山」に4月の「女流講談大会」の取材記事を載せていただけるとのことです。皆さん機会があったら見てください。  


Posted by 彦八 at 19:18Comments(0)