2015年06月10日

 念願の寺男になりました。

 長年の夢がかなって寺男になりました。
 某町の某寺の墓掃除のアルバイトを始めました。そのお寺なかなか由緒があるんです。で、境内の一角を墓地に売り出したんですね。で、お墓は持ち主がきれいにしますが、墓回りの雑草取りや生花の始末はお寺の仕事で、それをやることになったんです。月に二日ほどですので、寺男というほどではありませんが、お墓の掃除はやっぱり寺男ですよね。
 「天神山」は私の好きな落語の一つですがそこに男衆、寺男が出てきます。
 「天神山」は「墓見」という別名があるそうです。
 へんちきの源助が一心寺にやってきたら「お寺の男衆(おとこし)が掃除してはるがな。もうし、ええ天気デンなぁ」
「はいはいはい、お参りかな」
「ちょっと墓をな」
「御参詣なされ」
「御参詣なされやて、墓見て一杯飲むのも知らんとからに」
 というのが出てきます。
 五代目桂文枝師が小文枝の頃に聞いた時はこの男衆、ずいぶんと老人だったんですが、のちに聞いたら、もう少し若くなってました。私個人としては老人の方が静かな一心寺の雰囲気が出てたように思えました。
 文枝師が若かった分、年寄りに演じたのかもわかりませんし・・・
 東大落語会編(増補・落語辞典」には「天神山」では載ってません。「墓見」で載ってます。
 上方落語上巻(佐竹昭広、三田純一)の解説では東京落語の野ざらしと比較して、源助同様どうらんの安兵衛も狐の嫁はんを貰ったのでは噺の構成上「野ざらし」より拙いと言われても仕方ないと書いているが、そうかな。二人が二人ええ目をしたらアカン言うことやが、大阪落語らしい、どこかあの坂田三吉に通じる何とも貧しげな大阪人が描かれていていいではないか。
 前にも書いたが、談志師が東京落語の根本を江戸の了見、江戸のの風が吹くと書いていたが、大阪落語の根本は貧民窟で屈託なくない生きる大阪人ではないか。その対極に船場の大店がある。この二つが対になって風が吹くのが大阪落語の根本のような気がする。  


Posted by 彦八 at 21:11Comments(0)